フェイスブック若き天才の野望___(3)

今回は運について

沢山のユーザーが利用することでサーバーが圧迫され運営の問題となっていた。成長と共に制限されてしまうと遅れをとることになってしまう。そんな時に運が味方する。スケールアップするための時間があったこと、この後にも出てるくるが、モスコヴィッツの存在である。


フェイスブックが成功を収めることができた重要な理由が3つある。

 

①大学で始まったこと

人間関係が濃密な大学で多くの人は友達と活発に交流する。友達の友達として関わることも多くなった。

ハーバード大学という環境

ハーバードではいろんな学生がウェブサイトをつくっていて、珍しいことではなかったそうだ。だが、やはり寮の隣部屋に優秀なプログラマーであるで、高い知性を持ち、リーダーシップの持ち主であり優秀なモスコヴィッツが同じメンバーであったことが要因である。

ハーバード大学というアカデミズムの最高峰で生まれた

これも、大きな魅力であったそうだ。ハーバードはどんな分野であれ卓越した権威持っている。"ハーバードで生まれた"となると信頼がおけることになる。例えば"メイドインジャパン"と書いてあると我々日本人はその商品に信頼がおけるのと一緒である。


いろんな要因があるが、成功するにあたりやはりこれらは運があったのではないだろうか。要因でもあり運でもあったのだろうと感じた。


しかし、彼が関わった別のSNSの時にアイディアを盗んだと主張するやつらが出てくる。これはこの先読み進めばわかることだろう。

そして、2004年4月にザフェイスブックを正式に会社設立。彼、モスコヴィッツ、サベリン 3人だけだった。誕生後4カ月 1000万ドルで買収されそうだったが、一瞬たりとも会社を売るつもりなかった。

 

第2章に入った。

マークたちは在学しながら、ザ・フェイスブツクの仕事をしていた。そんなある時、広告業界の会社と接触。試しにキャンペーンの広告を流すと予想してた2倍の応募があり反響であった。しかし、利益を目的としていないマークは広告を売って収入を増やすことは、ユーザーを満足させることに比べれば、重要性が低かった。たしかにユーザーを満足されることは、作ってる人からしたらやり甲斐を感じるが、私なら少しはその代償に収入があってもいいなと考えしまう。そして、いろんな制限をかけ、ビジネスに関してはサベリン に任せていた。

 

さらにリスク分散のために、別の事業を始めたマーク。ザ・フェイスブックはあくまで1つのプロジェクトに過ぎない彼は"ワイヤーホグ"という、音楽共有サービスを開発した。これは音楽だけではなくビデオ、文書などファイル共有サービス。共有相手は友達だけで、フェイスブックに直結できた。

 

今回はここまで、56ページまで読んだ。