フェイスブック若き天才の野望___(5)

今回は、タイトル通り”フェイスブック以前”の話が書かれている第3章を読んだ。

 

もともとSNSというコンセプトは新しいものではなく、初期にフェイスブックの要素の多くは、他のパイオニアたちによって開発された。今回マークがフェイスブック開発にあたってアイデアを盗用したとされ避難された。現代的な意味でのSNSが登場したのは、1997年からであった。私たちが生まれた頃からだったのか...。

 

何個かフェイスブックが出来る前の似たサービスを紹介したい。

まず、シックスデグリーズ→実名をベースにする、友達の友達そのまた友達といった形でこの機能は今のフェイスブックに使われている。

次に、前にも紹介したフレンドスター→メンバーがデート相手を見つけるのを手助けする機能以外の実名を使う、プロフィールに写真を使うといった機能もまねた。統一性を重視していた。今でもこのサービスはあり、フィリピン60%、インドネシア、マレーシアなど主に東南アジアで使われている。

2004年1月。フェイスブックオープンわずか2週間前、グーグルから誰でもできるオープンなソーシャルネットワークが出されたアメリカで人気になった”オーカット”であったが、なぜかブラジルでマイスペースというフレンドスターのクローンのサービスに熱狂的なファンが増え、それに反応したオーカットは、ブラジル、ポルトガル語のサービスも始めてしまい、そういったサービスであるという雰囲気を帯びたため、アメリカのユーザーは離れていっていったそうだ。やはり、範囲を増やしてしまったところがいけなかったと思った。

そして、グリーンスパンが作った”ハウスシステム”にはいろんな機能をつけすぎで、ほとんど何でもできるといったシステムであまりにも役立ちすぎたとマークは語る。

フェイスブックは、極度に簡素で機能を最小限。そのシンプルさが成功要因だった。

フェイスブックが4月に公開されると関わってきた人たちに盗用だと言われ、非難された。フェイスブックを作るのに、いくつかのヒントを持っていたマーク。確かに関係を持ち、少し一緒に仕事をした人にとっては、”俺のアイデアを盗用しただろ”と言いたい気持ちはわかる。だが、マークは、そういったことを参考にし、自分で必要な機能かそうでないかを見極めているから賢いと感じたし、そういったことに気づかない人たちが悪かったのでは?と思ってしまった。

 

 フェイスブックになるまでマークがポンっと思いついたものではなかった。もともといろんな人がこういったサービスをつくっていた。だが、マークはそのサービスの中でも必要ないものは削り、本当に必要なものを見極めるということができる才能があった。ネットワークというイメージは複雑なイメージがあるから、単純でなければ私たち利用者は使うことが出来ない。何でも1つのことでできるのは、便利である。いらない機能を削るという案は、勇気がないとできないと思った。